今回は、2013年に出版され、本の売れないこの時代に累計200万部を売り上げた名著、『嫌われる勇気』についてご紹介したいと思います。
今回は『課題の分離』という考え方についてご紹介します。
この『課題の分離』という考え方は、本書の核であり、タイトルに直結する重要な部分になります。
それ故に、本書を読み切った後に『これどういうことなの?』と疑問が残る方も多いです。
そこで、この記事では、以下の内容について解説しています。
・課題の分離ってそもそも何?
・多くの人が悩む『共同体感覚』との違いとは?
この本に興味がある方向けに、丁寧に具体例を交えつつ解説していきます。
ぜひ最後までお付き合い頂けたらと思います。
では参りましょうっ!
課題の分離とは?【承認欲求を全否定】
『課題の分離』とは、課題や問題があった場合、『これは誰の課題なのか?』という視点から、自分の課題と他者の課題を分離するという考え方です。
本書では、『すべての悩みは対人関係が原因』と断言しており、そのトラブルは、他者の課題に踏み込む事、または自分の課題に踏み込まれる事で引き起こされるとされています。
どういうことなのか、具体的な2つの例題をもとに考えてみましょう。
例題1:親子間でよく見かける一幕
やっぱこの漫画おもしれーなー♬
こら!宿題はもう終わってるの!?
ちゃんと勉強してからにしなさい!
こんな一幕、学生の方なら経験あるんじゃないでしょうか?
かくいう僕も、幼少期はゲームが大好きだったので怒られないように、両立させるのに必死になっていました。
さて、ここで一つ質問をしましょう。宿題をやるのは、誰の課題でしょうか?
この場合、子供の課題となります。
宿題を終わらせてから遊ぶのかどうかは子供の課題であって、親の課題ではありません。
親が代わりに宿題をやる事が根本的な原因の解決になるわけではありません。
ここで重要なのは、『その課題の結果を誰が受けるのか?』という点です。
今回の、『子どもが勉強しない』という課題の場合、勉強しなかった結果は子どもが受ける事になります。具体的な結果としては、以下の事が挙げられます。
・成績が下がる
・志望校に合格できなくなる
・自分がなりたい職業に就けない
親が子供に対してできるのは、『勉強することは子供の課題だと理解した上で、本人がやる気になったときに最大限の援助をしてあげる』ということじゃないでしょうか?
それでは、次の例題へ進みましょう。
例題2:職場の部下の葛藤
三カ月連続で営業成績トップなのに
部長から評価されねぇ・・・
これは働いている方なら、抱えたことのある悩みかと思います。
かくいう僕も一時期、上司からの評価を気にして仕事をしていた時期がありました。
ですが、この男性は『課題の分離』が出来ていない、という事にお気づきでしょうか?
さて、『自分を評価するかどうか』は自分の課題でしょうか?
これは『上司の課題』です。
評価が正当なものであれ、不当なものであれ、男性がやるべき課題は変わりません。
彼がやるべき課題は『営業成績を上げる』という事です。
評価が不当だと感じるのであれば、部署の移動や転職などで上司を変えるしかありません。
はぁ・・・
俺の事を評価してくれる上司に
変わってくんねぇかなぁ・・・
なんてぼやいたところで現状が変わるわけではありません。
他人を自分の思ったように変えようとするのは、他人の課題に首を突っ込んでいる状態です。
ストレスだって半端ないことになるでしょう。
この2つの例から以下の2つの事が分かります。
・誰の課題かを見分けるポイントは課題の結果を誰が受けるのか?
・自分の課題に介入される、若しくは相手の課題に干渉する事でトラブルになる
自分がされて嫌な事だと分かっていてどうしてそれが出来ないのでしょうか?
それには明確な理由があるんです。
課題の分離、なぜできない?
課題の分離が出来ない明確な理由、それは『信用と教育』の2つが関わっているのです。
それぞれ具体的に解説していきましょう。
『信用』が『課題の分離』の邪魔をする
信用が邪魔してるって・・・
じゃあ相手を常に疑えってのかよ?
ここが課題の分離の難しいところです。
信用するのが、というよりも『信用する事』と『引き起こす結果』を一緒にして考えてしまうからです。
例えば、あなたが上司からこんな指示を受けたとします。
ここ、ずいぶん散らかってるな・・・
片づけて掃除しておけよ?
さて、ここに課題の分離の着眼点を当てはめてみましょう。
誰の課題か? | どんな課題か? |
上司の課題 | 職場を管理しなければならない |
あなたの課題 | 指示を受け、掃除をする |
ここまではご理解いただけると思います。
ですが、あなたのとらえ方次第ではトラブルになってしまいます。
例えば、これから取引先にすぐ出向かなければならず、掃除が後回しになってしまいました。
会社に戻ってきた後、上司はこんな反応になるでしょう。
お前、ここ掃除しとけって言ったよな!?
なんでやってないんだよ!
『信用する事』と『引き起こす結果』を一緒にしてしまうと、このような結果を引き起こすのです。
・信用する事・・・あなたの仕事での実績、上司からの印象
・引き起こす結果・・・あなたならすぐに掃除してきれいにしてくれるだろう
上司から見て、すぐにでも掃除してほしいのなら、あなたに頼むべきか確認するところから入る必要があります。
ここ、〇時までに片づけて掃除してほしいんだが、今時間あるか?
と聞かれれば、あなたの今日の予定や、そもそも対応が出来るかどうかも変わってきます。
信用=相手の欲求を満たす事ではありません。
引き起こす結果を具体的に共有できなければ、指示している事の意味がありません。
信用する事が悪いのではなく、『引き起こす結果』と切り離して考える必要がある、という事です。
『教育』が『課題の分離』の邪魔をする
教育って学歴か?
結局大学出たやつが偉いんだろ?
ここで指す教育とは、学歴ではありません。
あなたが小学生の時、学校や家での兄弟との会話でこんな言葉を聞きませんでしたか?
○○君はテストで良い点取ってえらいね!
こら!○○ちゃんを泣かせて!
困らせちゃダメでしょ!?
こういったある行動を褒め、ある行動を罰する教育を賞罰教育と言います。
これをアドラー心理学では強く批判しています。それは、この教育が課題の分離とは真逆の発想だからです。
例えば先程の例で成績に触れました。
A君は成績が優秀ですが、B君は平均的な成績でした。
A君は周りからもてはやされますが、B君にはそれがありません。
そうすると、B君が勉強する目的は『知識を身に付けるため』から『周りや先生に褒められたいから』に変化していきます。
(全員がそうではありません。あくまでも例として挙げています)
この意識のまま育っていくと、『周囲から評価されたい、認められたい』という承認欲求の為に働き、生きていくようになってしまいます。
それで果たしてB君は幸せと呼べるでしょうか?
恐らく、心の中に言葉に出来ないモヤモヤが残って、うまく自分を表現できずに生きていく事でしょう。
賞罰教育が招くのは、承認欲求にまみれた大人を生み出す事。
結果として、『教育』が『課題の分離』という考え方を取り入れにくくしてしまうのです。
共同体感覚とは?
ここまででこれらの事を理解して頂けたかと思います。
・課題の分離とは?
・課題の分離が出来ないとどのように対人トラブルが起こるのか?
・なぜ課題の分離が出来ないのか?
ここからは、本書を読んだ人なら一度はぶち当たる壁、『共同体感覚』との違いについて解説していきます。
そもそも、共同体感覚とは何か?
共同体感覚とは、他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられる事を指します。
本書では共同体について、以下のように記されています。
家庭や学校、職場や地域社会だけではなく、たとえば国家や人類などを包括(まとめた)したすべてであり、時間軸においては過去から未来までも含まれるとし、さらには動植物や無生物までも含まれるとしています。
過去や未来、そして宇宙全体までも含んだ、文字通りの「すべて」が共同体なのだと提唱しているのです。
引用:嫌われる勇気より
共同体感覚は、英語でsocial interestと表記され、社会への関心という意味があります。
共同体という言葉、加えて過去や未来、動植物まで含めると聞くと、かなり壮大な話をしているように感じてしまいます。もう少し身近なもので考えてみましょう。
この共同体、最小単位はどのように表現されると思いますか?
学校?会社?家族?いいえ、どれも違います。
正解は、「わたしとあなた」です。
二人の人間がいたら、そこに社会が生まれ、共同体が生まれます。
自己への執着(self interest)を捨て、他者への関心(social interest)に変えていく事が最も重要なのです。
自己中心的な人=○○が出来ていない人
自分に執着している、と聞くと自己中心的な人が連想されますが、自己中心的な人とはどんな人でしょう?
実は、ここに課題の分離の考え方が密接に関わってくるんです。
一般的には以下のイメージが連想されます。
・集団の輪を乱す人
・自分勝手な人
アドラー心理学的な言葉を使うと、『課題の分離が出来ておらず、承認欲求に囚われている人』という表現になります。
自己中心的な人たちにとっての他者は、こんなことを考えています。
・周りの人は『僕のために何かしてくれる人』
・『僕の為に動くべき存在』
・私の気持ちを最優先に考えるべき
冗談だと思いたくなりますが、割と本気で言っています。
となれば、この人は周りの人と接するときにずーっと『この人は僕に何を与えてくれるのか?』ばかりを考えるようになります。
でも、その期待は満たされることはありません。
なぜなら、『他者はあなたの期待を満たす為に生きているのではない』からです。
共同体感覚はこちらの記事で更に詳しく解説していますので、こちらからどうぞ。
承認欲求は否定、他者とは積極的に関わり合う
ここまでの解説を聞くと、こんな疑問を抱くのではないでしょうか?
他の人に認められたい、承認欲求は否定してるけど
でも周りの人とは積極的に関わりなさいって?
もう何も信じられないよ・・・
積極的に関わる、と聞くと『こちらの親切を押し付けてでも関わる』ように聞こえるかもしれません。
ですが、あくまでも『課題の分離』という考え方のもとで周囲と関わっていくのが大事だよという事です。
考え方としては、以下の図のようになります。
以下はあなたの脳内で起こっている天使と悪魔のようなイメージでご覧ください。
くっそ、これは相手の課題だろ!?
なんで介入してくるんだよ!?
いやいや、相手の課題だけど
馬鹿にしてるかもしれないぜぇ?
とか。
やめて!
相手はそこまでの介入求めてないの!
いやいや、もっと介入した方がいいって♪
その方が恩を売れるし、今後何かと有利に立ち回れるぜぇ!
すごく卑屈に見えるかもしれませんが、脳内ではこんな感じの事が起きてるんです。
本書のタイトルの通り、『嫌われる勇気』を持てるかどうかにかかっています。
ぼんちゃん’s Point
僕のポイントとしては、『僕たちは勇気が足りない』という点です。
本書のタイトルにも勇気、という言葉が使われていますが、マイナスのイメージの方向へ向かう決断力が足りない。これは誰しも分かっていながら出来ない事です。
嫌われる、というと一般的にはマイナスのイメージが浮かびます。
ですが、どうして嫌われるのが怖いのか?と掘り下げていくと、誰しもこんな事が頭をよぎるでしょう。
・自分の価値を否定されている気分になる
・集団の輪から仲間外れにされたくない
・信頼に応えないと評価が下がる
いずれも周囲の目を気にして生きていることに他なりません。
人生はあなたのものです。他の誰のものでもありません。
「自分の信じる最善の道を選ぶこと」があなたのやるべき事です。
親にしろ、外野にしろ、誰かの言いなりに進める人生はさぞ楽でしょう。
なぜなら、自分の人生を他人任せにしているようなものだからです。
一度しかない、自分の人生、楽しんでいきましょうよ♪
まとめ
いかがでしょうか?
考え方としてある程度理解できたかと思いますが、実践できるかと言われるとかなり難しいですよね。
これを実践するとなると、周囲からかなり浮くかと思います。
ですが、自分の本音で関わり合える仲間がきっといるはずです。
参考にする価値のある考え方ですので、頭の片隅に入れてみてはいかがでしょうか?
本書に興味を持たれた方は、こちらからまとめた記事をご覧頂けます。
よろしければ、そちらもあわせてご覧ください。
本日はここまで。
また別な記事でお会いしましょう。
んでねっ!
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